旧暦大祓の日によせて
ウタマヒノツカサ改め「 ╋[カ・ミ]神楽 」は、即興による舞台です。
その時その場に現れるモノ、湧き上がるモノを受け取り、現出していきます。
即興とはいえども事前にいろいろ構想、舞台の性格、大枠を考えはします。今回は能登半島の震災に向けたチャリティということで、大祓とともに「鎮魂」をテーマといたしました。
もともと自身の舞は、感情表現や情景描写をしない抽象的なものと思い定めていましたが、3月に演劇舞台にたった時の印象は、「そういう表現もありなのかも」というものでした。
昔、梅若流にて能楽を学んでいた頃に入手していた女面のことを思い出し、新しい試みとして使うことにいたしました。
当日本番、神降ろしと笹幤による祓、歌のあと、それこそ能の演目でありそうな気狂いの女に象徴する、やり場のない悲しみと虚無感。無言で舞うと思っていたのに、どんどん言葉が、無念の言葉が湧いてきました。
赤と黒の、素晴らしい存在感のある”蓮糸Sari”さんのオリジナル衣装により、面に色濃い意思が宿ったようでした。
それに続く、荒涼とした鬼の怒り。神も魔をも呪うような鬼の苦悩のもがき。
その闇を切り裂き、光をもたらすのは剣の輝きと笛の音。
2016年、熊本の震災ボランティアにて身体を壊すほどの働きをした私の恩人が、役目を終えた直後に「たまたま」入手できた日本刀、銘は「水心子正秀」。
入手してすぐに家にいらして、舞台で使いなさいと預けていかれました。青天の霹靂でした。
秘密主義が当たり前の刀匠のなかで、この方は多くの弟子を育てたそうです。
銘の通りの、水面のような凛として優しい刀。
水の心のごとく自由に舞う剣の祓い。
ついていく身体の方も、一瞬の油断もできません。
祓いが終わり、言祝ぎの舞のあと、参加者皆様で禊の行にて打ち上げとなりました。
昔、雪の山形の黒川能、冬の長野の山里の神楽に魅了され、何度も足を運びました。
そういった古来の芸能の薫りに思いをはせつつ、自分たちならではの新しい表現世界を育てて参りたいと思っております。
宇佐見仁 拝
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